大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和48年(う)210号 判決

被告人 黒木勇

主文

原判決中被告人に関する部分を破棄する。

右部分につき本件を熊本地方裁判所天草支部に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人宮本卓治および被告人各提出の控訴趣意書記載のとおりであるからここにこれを引用する。

所論に対する判断に先立ち、職権をもつて調査すると、原判決には訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決中被告人に関する部分は破棄を免れない。その理由は、以下に述べるとおりである。

すなわち、原審記録によれば

(一)  本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和四七年六月四日施行の熊本県天草郡有明町議会議員選挙に際し、立候補を決意していたものであるが、自己の当選を得る目的で、その立候補の届出前である昭和四七年五月一八日ころ、同町大字赤崎二、九〇四番地北野甚五郎方において、自己の選挙運動者であり、且つ同選挙の選挙人である同人に対し、自己のため投票ならびに投票とりまとめ等の選挙運動をすることの報酬として現金二万円を供与し、更に同日ころ、同町大字同二、八六四番地柴田林七方において、自己の選挙運動者であり、且つ同選挙の選挙人である同人に対し、前同趣旨のもとに現金一万五千円を供与し、もつてそれぞれ立候補届出前の選挙運動をした。」というものであること、

(二)  しかして、原審第一回公判期日における冒頭手続において、被告人は、右各金員の授受を認めたが、その趣旨を否認し、正当な選挙費用の前渡しである旨陳述し、被告人と併合審理されていた原審共同被告人北野甚五郎、同柴田林七の両名も、被告人からの右各受供与の公訴事実に対し、被告人と同趣旨の陳述をしていること、

(三)  そして、右公判期日において、検察官より被告人および共同被告人北野、同柴田に共通の証拠として、検察官請求証拠目録(記録四四丁)記載の番号一ないし三七の各書証の取調請求がなされ、これに対し、被告人および右共同被告人両名の原審弁護人は、同目録記載の番号一ないし一七、および三五ないし三七の各書証につき証拠とすることに同意し、番号一八ないし三四の各書証については意見を留保し、原裁判所は、右同意のあつた番号一ないし一七および三五ないし三七の各書証につき採用決定のうえその取調を了し、右取調終了後、共同被告人北野、同柴田に対する弁論を分離したうえ、検察官から被告人の関係で請求された右北野、柴田の両名の証人尋問の請求を採用し、次回公判期日に右両名を尋問する旨決定したこと、

(四)  しかるに、原審記録には、右第一回公判調書の次に、同期日に取調を了した前記検察官請求証拠目録の番号一ないし一七および三五ないし三七の各書証のほかに、前記のとおり原審弁護人において意見を留保し、未だ採用決定も取調もしていない番号一八ないし三四の各書証までが、すべて編綴されていること(記録九六ないし三二四丁)、

(五)  しかも、右番号一八ないし三四の各書証のうち、一八ないし二四は前記共同被告人柴田の司法警察員あるいは検察官に対する供述調書であり、二五ないし二九は前記共同被告人北野の司法警察員あるいは検察官に対する供述調書であり、また三〇ないし三四は被告人の司法警察員あるいは検察官に対する供述調書であつて、これらは概ね自白調書であつて、本件公訴事実を直接的に認定しうべき内容を包蔵しているものであること、

(六)  そして、その後原審第二回公判期日において、原裁判所は、被告人の関係で、前記証人北野甚五郎の尋問を了し、同柴田林七の尋問の一部を行い、同第三回公判期日において、右証人柴田の尋問を了し、右期日に検察官より右柴田の検察官に対する昭和四七年六月一六日付供述調書の謄本および右北野の検察官に対する同月一六日付および同月一九日付各供述調書の謄本をそれぞれ刑事訴訟法三二一条一項二号後段の書面として取調請求がなされたが、これらは、前述のとおり、既にその原本が記録に編てつされている前記検察官請求証拠目録記載の番号二四、二八、二九の各書証の謄本であること、

(七)  原審第四回公判期日において、原裁判所は右柴田および北野の検察官に対する供述調書の謄本三通を同法三二一条一項二号後段の書面として採用決定のうえその取調を了し、右期日の公判調書の次に右各供述調書の謄本が編綴されていること、

(八)  原審第六回公判期日において、被告人の関係で、原審弁護人は、前記検察官請求証拠目録記載の番号一八ないし二九の各書証につき不同意、同三〇ないし三四の各書証につき同意する旨意見を述べ、原裁判所は右同意のあつた三〇ないし三四の各書証につき採用決定のうえその取調を了し、右一八ないし二九の各書証については、検察官においてその取調請求を撤回したこと、しかし、取調を了した右各書証は、右第六回公判調書の末尾に編綴されていないこと、

(九)  そして、原判決は、被告人の関係で、罪となるべき事実を認定した証拠の標目としては、原審第一回公判期日において同意書面として取調べた宮崎芳充および北野チヨの司法警察員および検察官に対する各供述調書(前記検察官請求証拠目録記載の番号三ないし六の分)、原審第四回公判期日において刑事訴訟法三二一条一項二号後段の書面として取調べた柴田林七の検察官に対する供述調書謄本、北野甚五郎の検察官に対する供述調書謄本二通(以上同目録記載の番号二四、二八、二九の各書証の謄本)、および原審第六回公判期日において同意書面として取調べた被告人の検察官に対する供述調書二通(以上同目録記載の番号三三および三四の書証)が掲記されていること、

の諸事実が認められる。

従つて、原審の訴訟手続には、原審第一回公判期日において、被告人の関係においてはもとより、原審共同被告人の関係においても未だ証拠とすることの同意がなく、採用決定も、取調もなされていない検察官請求にかかる前記検察官請求証拠目録記載の番号一八ないし三四の各書証を受領し、これを本件記録に編綴した違法があるといわなければならない。

しかして、右の各書証が記録に編綴されている以上、担当裁判官は審理にあたりその内容を了知しているものと推認せざるを得ないところ、右各書証が本件各受供与者である原審共同被告人北野、同柴田の両名および供与者である被告人の捜査段階における供述調書であつて、且つこれらが概ね自白調書であつて、本件公訴事実を直接的に認定しうべき内容を包蔵しているものであることは前叙のとおりである(現に原判決が、証拠の標目として、右の書証またはその謄本の一部を掲記していることも前叙のとおりである。)から、これらを通読した裁判官が、その時点において事件につき予断を抱くに至つたであろうことは否定し難いところである。しかも、前記認定のとおり、本件は否認事件であり、加うるに、右各書証が記録に編綴されたのは原審第一回公判期日の直後であつて、被告人の関係で、本件金員授受の相手方として最も重要な証人である前記北野、柴田の両名を取調べる以前であつたのであるから、裁判官が事件につき予断を抱いたであろう蓋然性は一層強いといわざるを得ない。

ところで、刑事訴訟法二五六条六項が、「起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添付し、またはその内容を引用してはならない。」と規定し、また同法三〇一条が、「三二二条および三二四条一項の規定により証拠とすることができる被告人の供述が自白である場合には、犯罪事実に対する他の証拠が取調べられた後でなければ、その取調を請求することができない。」旨規定しているのも、裁判官にかかる事件について予断が生ずるのを未然に防止しようという趣旨にほかならない。

従つて、右各規定の趣旨ならびに前記認定の諸事情を総合して考察すると、被告人側の同意がなく、採用決定もない書証全部を記録に編綴した前記訴訟手続の法令違反は、その影響するところ極めて重大であつて、右の違法がなかつたならば、原判決と異る判決がなされたであろうという蓋然性もにわかに否定し難く、事後において右各書証の原謄本の一部が刑事訴訟法三二一条一項二号後段の書面として、あるいは同意書面として取調べられたからといつて、右の違法が治癒せられ、あるいは判決に影響を及ぼさないと解することはできない。

従つて、原判決には訴訟手続の法令違反があり、且つこれが判決に影響を及ぼすことが明らかであると解すべきであるから、原判決中被告人に関する部分は、所論についての判断を俟つまでもなく、破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条に則り原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条本文に則り右部分につき本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例